前出の吉本隆明・大塚英志対談でのサブカルチャー論とこの対談集の第5章の「拡散するカルチャー」に展開される彼らの大塚サブカルチャー論と彼らのサブカルチャーとは何か提示を比較するとかなり面白い。
ある意味で彼らが大塚を高く評価している現れでもあり、今、日本で安易に取り上げられる「サブカルチャー」という概念の生み出す議論の一面を確実に照らし出している。
対談であることが前出の対談同様、“江藤淳を継ぐ、弟子という面でとらえられる文藝評論家”の福田氏と“西部氏に絶賛されて登場した若手評論家”の宮崎氏の個性を初めて両氏を知るだろう読者にも感じられる(あくまで理解されるではない)可能性を感じさせる本となっている。
新たな保守主義の教典ともとれる章だてに圧倒される読者もいるかもしれないが、一応この二人の論客を超えていかないと思って読まれることを勧めたい。前出対談集と異なるこの二組の対談集の臭いのようなものを皮膚感覚で受け止めるという方法論もありかもしれない。色々なテーマを折り込みならが、あくまで文藝評論という視点や座標から展開する福田氏がある反面、最終章「生死」の最後のフレーズが宮崎氏の座標を明確に見せる。少し長いが引用してみよう。
「歴史的に蓄積された仏教文化の資源を利用しながら、従来の日本仏教とは異なる、より整合的で、より強靱な普遍思想が生まれてくる可能性がある。 もし私が日本に期するものがあるとすれば、世界の様相を一変させるかもしれないこの普遍思想の可能性なのです。」
書名にある「愛と幻想の日本主義」は、読み終えて、正にこの二人の論客への形容詞としてふさわしいという感覚を抱くのは私だけではないはず。好き嫌いがはっきり分れる本かも・・・
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