茂上恒造:その1
茂上恒造
(藤原北家のながれを組む「柳原前光」伯爵の次女、叔母は大正天皇の生母と言う家柄)
略歴明治28年生まれ。柔らか物の和家具で花柳界や歌舞伎俳優からの人気のあった茅町「富村」の出。
「小物の茂上」で聞こえ、天皇北海道行幸の際の居間の電燈笠などの下命されている。
不知火の女王・柳原白蓮の嫁入調度、タンス長持から硯箱まで指物一切は恒造若き日の仕事である。(「職人衆昔ばなし」より)
柳原白蓮
(藤原北家のながれを組む「柳原前光」伯爵の次女、叔母は大正天皇の生母と言う家柄)
赤銅御殿(大分県別府市青山町に跡地)でしられる九州は筑豊の炭鉱王「伊藤伝右衛門」への嫁入をし、当時は政略結婚だのという話題が巷に流れました。
恒造氏の仕事は、この際の調度品。タンス長持から鏡台、針箱、硯箱。下駄箱・本箱・机・衣桁(えこう)まで大八車で積み上げて8台あったというからかなりの豪華なもの。その後、白蓮は、大正10年10月、大阪朝日新聞に「離縁状」を掲出し、宮崎滔天の息子、7歳下の東京帝大生「宮崎龍介」との恋に走りました。当時の新聞にもこのことが大きく報道され、世に一大センセーションを巻き起こしたといいます。
最近では、林真理子さんがこの白蓮を描いた「白蓮れんれん」を出版し、柴田錬三郎を受賞するなど、かなり評判になり、舞台でも上演されるまでになりました。
白蓮の宮崎隆介(荒尾市にある宮崎兄弟資料館に詳しい)との駆け落ち後にこれら調度品がどうなったのかは、恒造氏も知らないといいます。もし、現存しているのなら、是非見てみたいものです。
2004/07/29(Thu) 19:00:41 | 日記
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